いつまで自分を殺し続ければいいんだろうか

子供から大人になって、学生から社会人になった。否、なってしまったというのが正しいのだろうか。学生の頃に比べて、お金は増えたし、生活の自由度も大いに上がった。できることも増えたはずだし、どんなに堕落した日々を過ごしても、とやかく言う親はいない。そんな生活も、もう3年を過ぎた。

でも、なんでだろう、いつの間にか自分という存在は擦り減っていて、気がついたら学生の頃の自由さを求めてしまっている。金はなかったが時間はあったあの頃を。会社としてのビジネスの人間関係よりも、仲のいい友人との気楽な関係が楽しかったあの頃を。

今から過去に戻ることはできないし、過去の自分を変えることなんてもっとできない。今の自分は過去からの積み重ねでしか無いのだから。過去を羨んだところで今は変わらない。変わることはない。

だったら未来を変えればいい。そんな風に思えるのは芯が強いひとだと思う。自分にはそんな強さはない。ぐにゃぐにゃに育ってきた植物みたいなもんだ。その日そのあ日で、右に左に揺れて生きている。周りの空気に流され、行ったり来たり。

だからこそ、未来なんてどうなってるかわからないところに投資する力は自分には無い。日々を生きるだけで精一杯である。たとえ、未来への投資を怠ってしまったせいで、未来の自分がだめになろうとも、今を行きていかなければ未来が無いのだから。

だから僕は今日も自分を殺す。

社会の目を、会社の目を、友達の目を、家族の目を、あらゆる周りの目をかいくぐるために自分を殺す。世間一般のありふれた日常を過ごすために、自分の感情を殺す。日々を生き抜くために、自分のやりたいことを殺す。面倒なことを諦めるために、自分の感情を殺す。

自分を殺した分だけ、自分がなくなっていく。だんだん自分が自分なのかすらもわからなくなっていく。生きていく意味は、仕事をする意味は、なにが必要で、何が不必要なのか、なにもかもがわからなくなっていく。

過去に思いを馳せることも、自分の人生がこれでいいのかと悩むことも、きっとよくあることなんだと思う。それこそ、今日の夕飯は何にしようかな?と同じぐらいの悩みなんだと思う。大体の人は食べたらなくなるご飯のように、前の日の夕飯なんてすぐに忘れて、次の日を過ごす。

だから、自分を殺して今日も周りの真似をする。自分の中身は知らんぷりして、日々を過ごす。これからも僕は自分を殺し続けるだろう。周りの殺されるよりも、自分に殺されったほうが、よっぽどましだから。